空気を読むとは。
最近、私らしく在りすぎるのではないか、と不安に思うことがあるくらい、どこでも”私”でいられるようになりました。職場でもこの感じなので、いいのか、大丈夫か、と不安になるんですね、昔の”いい子ちゃん時代の私”が。
ざわっとしますし、怖さを感じる時もありますが、これでいいんだろうなあきっと、これが私なんだよなあと思っています。これで離れて行く人や、私の評価を下げる人は、それが本来のことなので、それでいいんです。全ては完璧に廻っているとも思っていますし、ね。どうぞ、離れて行ってください。でも寂しく感じるんだろうな、と思っていたんだけど、そうなったとしても、私が好きで私を好きな人からの愛は大きくなるらしいのです。今、それを体験中。私を嫌う人が出てきたかどうかは、そこにフォーカスしていないのでよくわかっていませんが、確実に愛で満たされている毎日なので、ノープロブレム。
でね、タイトルのことで思うことが。ご存知の通り(?)私の彼はアメリカ人です。アメリカ人特有とまでは思いませんし、各国それぞれの国民性みたいなものあれど、その限りでないことはもちろんなのですが、大概の日本人にはないかもなーこの感覚、と感じたことです。
彼は、空気を読みません。空気を読まない、とポリシーにしているかのごとく。笑 しかし自己中野郎でもありません。ここからわかるのは、空気を読む=gentleman ではないということ。彼は、すごく紳士ですが、空気は読みません。優しさと、(無駄な)同調にきちんと線が引いてあるのです。
私が自分の本音を拾えていなくて、心がこじれた時に”言わなくてもわかってよ”が発動しました。笑(しばらく前、それが最後だった、今のところ。笑)しかし、空気を読まない(読めないのではなく、読まない)彼。あるあるですよね、喧嘩の発端の。喧嘩になる前に、彼が言ったのがこんなこと。
”君が何か不満に思っているのはわかるけど、君が言うまで僕から知ろうとはしない。理由を尋ねることはあっても憶測はしない。察して何かすることもしない。なぜなら、それは君を信頼していないことになるだろう。君が伝えてくれるだけの信頼が僕にあることを知っていて、君に対処する力があることも知っている。言ってくれればなんだってするよ。黙っているくせに、わかってほしいというのが大嫌いなんだ。お互いに正直でいたいと思うならば、言葉を有効に使おう。言葉なしの信頼は、信頼ではなく、ただの自分勝手な決めつけもしくはそうであってほしいと言う願望だよね。”ということでした。
ああ、男前。(♡)ほんとそうだなーと思いました。
”言いたいことがあるのに、言えないときは、お互いにより良い関係になれるチャンスなんだ、それを黙っていて、チャンスをなくさないでくれ。言葉にしようとトライして。””Don’t be afraid to say "No" to me."。とも。
空気を読むって、相手を信頼していたら、自分を信頼していたら、しなくていいことだもんね。愛から始まる行動ではないよね。恐れや不安からの行動。今は躊躇せず嫌なことは嫌だと言っています。疑わなくて済むのは楽で、使うべきところにエネルギー使えるので、快適です。
私が外国人との付き合い(恋愛的な意味だけでなく)が好きなのは、初めから考え方や文化や習慣が違うことを認識しているからこそ、理解しよう、知ろうと努めるからだとも思います。ちゃんとわかり合おうと、お互いにするその姿勢が好きなのかな。
公私ともに順調とは私のことを言うのであろう、ふふふー。神様、宇宙様、いつもありがとねー。6月、誕生月です!ついに27歳もあと9日となりました!!!歳を重ねるって楽しいな。ではまたねー。
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