努力と趣味の境界線

こんばんは!先日はこちらへ!

アメリカ出身の友人5人と私で行ってきましたー!とっても楽しかった!(特にジャイアンツファンってわけではないんですけども。)メンバーが最高でした。


今朝、出勤時運転をしていたら、ふとなんだか、ああ、幸せだなあって感じたんです。こう、心がふるっとするような、やんわりと感きわまる感じ。事実を見たら、何にも変わっていないと思うんです。家族と、彼と、友人とそれぞれと楽しく過ごした週末、楽しさゆえの少しの寝不足を感じながらバタバタと朝の支度を済ませ、朝ごはんのサンドイッチを食べながら(お行儀悪いですねー、これが私の日常♡)好きな職場に向かう出勤時車中。


何にも特別なことはないようなのに、全てが特別に見えて、あれもこれもありがたいなあ、ありがたかったんだなあ、と。


こういうところが、心のトレーニングの成果だと、みてもいいですかね。受け取れるように、なってきたってことかな。


心のトレーニングも継続しながら、久しぶりの体のトレーニングもしてきました。ある程度のウエイトトレーニングをし、走るのが私の定番メニューとなりつつあるのですが、走っている時に”いつも楽しそうでいいですねー!”と言われたのです。(私、走るの嫌いだと思っていました。今は、10分間くらい走るなら好き。笑)(最近、いつも楽しそう!ってとてもよく言われます❤️毎日、何度も❤️)


ああ、確かに楽しいな。楽しくて、身体締まってきてるよなあ(私なりのペースでですが)。昔って、頑張っても痩せなかったのになー、と思ったのですよ。今でははっきりわかります。”頑張って”いたから痩せなかったんだと。”頑張る必要のあること”を選んでいたから痩せなかったんだと。どういうことかというと、向き不向き、向いているものは楽しいし(一過性の楽しさだけでなく)、向いていないものは楽しくないもしくは苦痛。苦痛オンリー。(負のスパイラルに陥るもの。私にとっては食事制限。何か制限する系。)


ウエイトもきついし、きつくしてるんですが、楽しいんです。走るのも、心地いいんです。身体を絞るために”努力”してるとは微塵も思わないです、なんなら趣味の領域。でも、これが食事制限なら”ザ・努力”になる。(私にとってね。)この、”努力”っていう意味を持つものは全て手放したんです、1年くらい前かな。だからか。その頃から勝手に痩せ始めたんだなあ。


ってことを昨日書いたのに、途中のまま寝たので(寝るの大好きなんです)、本日アップです。(なので、今朝ではなく昨日の朝だけど、特に重要ではないので、修正はしていませーん。)今日は、別に書きたいことがあるので、寝なかったら書きます。笑

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