how to be treated as a lady
本日のタイトル、"女性としての扱われ方"ですが。今日、三人の男性から同時に!贈り物をいただく!というなんとも嬉しいことがありました。(いただいたものはなんであれ。笑)
ザ・後者(心屋仁之助先生の前者 後者論 参照)なので、喜びは喜びのまま表現し、できないことはできないと頼ることを身につけつつあるのですが、今の私、昔の私なら絶対嫌いなタイプだと思う。笑
女性らしいことをよしとしていて、嬉しいことは嬉しいとありのままに表現し、できないことは他力本願!!!こんな可愛らしい人、めっちゃ嫌悪感抱いてだろうな。笑
もし、今の私に嫌悪感を抱く人がいるならば、私を通して、明らめて(事実を事実としてみる)欲しいと思います。超偉そう。昔の自分への言葉でも在るので許してね。
嫌悪感ってさ、さらに見つめると妬みだったり、嫉妬だったりすると思うんだけど、その嫉妬ってなんなのかって、探ってみると”羨ましい”だったりするんだよね。その対象があなたの理想かどうかは置いといて、そのように在れることが羨ましかったりするんだよね、そういう時。自分でできないことをやっていたりしたら羨ましいし、いいなあって思う。自分でやっちゃダメって思っていることやっている人見たら、私も本当はやりたいのに!いいなあ!と感じる。
その元にある、いいなあ、私もそうなりたいなあ、って感情を明らめないまま、嫌悪感を嫌悪感のままキャッチし、なんか嫌だ、なんかムカつくって処理してしまっていては、物事上手くはいかないよね。こじれる。
私は気づいたのだよ、女性らしい人を羨ましかっただけなんだ、と。そのまま受け入れましたー。だって、女性らしい人って素敵じゃん。美人だし、品があるし、セクシーだし。人としてすごく魅力的。ああ、こんなにいいなあ、羨ましいなあと思っていたんだなあ、と嫌悪感を見つめて初めて気がつきました。
女性らしくあろう、と決めてからは、ほんの少し、嫌悪感抱かれることもあります。そんな時は”明らめチャンスですよー♡”と心の中で思っています。結局、嫉妬とか、嫌悪感抱く人に女性として魅力溢れる人はいない。これがきっとさきこさん(お金の神様に可愛がられる方法 著者 藤本さきこさん♡)の言う勝ち負けの世界で生きているか、そうでないかの違いなのかな。
今日も眠くなってきた。寝落ちする前に、寝るとしよう。プロフィール写真をじゅんさんに撮っていただいた写真に変えてから、毎日のように、お友達申請をいただくようになったよ!気になる人には、私から送ったりもしているよ。お気に入りの写真があるって、嬉しいな♡では、おやすみなさーい。
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